Rail20とPursuerで行く Kanさんの旅路

ヤフーブログから移転しました もともとオートバイ主体のブログでしたが ミニベロのRail20が楽し過ぎて 自転車ブログになりました さらには 折り畳みミニベロ Pursuerが増車 二台の自転車のサイクルライフを 記すブログになりました よろしくお願いします

2014年08月

大川小学校のその存在は、
衝撃でした。
なので、ここはまたゆっくり取り上げたいと思います。
 
新北上大橋(まだ壊れているけれど)を渡り北上川を超え、
R398を北上。
 
この日は
津の宮荘に泊まりました。
 
お客さんはこの日は私のみ。
お風呂は貸し切りでした。
海の夕暮れがきれい~
で、疲れをいやしたのちに、夕食。
 
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これで一人前。
とんでもないボリューム。
 
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なんと新鮮なうに!
 
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なんと新鮮なホヤ!
 
ボリュームもとんでもないのですが
一品一品美味しかったです。
 
 
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何とか完食…
 
その日みた被災地のことを考えながら
眠りにつきました。
 
 
翌朝、少し宿の周りをお散歩。
 
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真ん中の高台に見えるのが
宿泊した津の宮荘。
 
あちこち堤防が壊れてしまっているのがわかります。
 
 
この日の海は、とても静かで優しい感じがしました。
津波の風景が、全く想像がつかず、
暫く海を眺めて過ごしました。
 
 
 
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ジェンマ君と津の宮荘。
 
女将に震災の日の話を聞きましたが、
この宿も被害にあい、
自宅およびマイクロバス二台が流されてしまったそうです。
民宿自体は高台にあり無事で、避難所になったり
ボランティアの人を受け入れたりしていたそうで、
「もうやめよう」と思っていたら
震災当時に来ていた人たちが泊まりに来てくれて
やめるにやめられなくなってしまったのだとか。
 
こうしてきて現地を見ていると、
3年たったなんて感じが全くせず、
復興どころではないような感じがします。
 
被災地の人たちは、
今もえらい思いをしているのだから。
 
 
 
女将さんも、
「震災は、まるで昨日のことのよう」とおっしゃっていました。
 
 
 
 
ぼちぼちと、出発します。
 
ぼちぼちと、続く。
 
 

石巻から女川町に入って、
しばらく走っていくと、
ツーリングマップルに
「平成の大津波で町は全壊」と書かれている意味が
わかる風景がひろがってきました。
 
 
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広大な平地が広がっていて、
何も知らずに走っていくと、
「大規模な宅地造成をしているような風景」が広がっていたのですが、
 
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こういう建物の跡を見て、
そしてあちこちに飾られている花をみて、
何があったのか、悟ることになりました。
 
 
その後、地元の人にその時のことを教えてもらったのですが、
この広大な更地は、もともと街であり、人々が住んでいた跡地であったのですね。
 
まったく、信じられなかったのですが。
 
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この写真の中央に見える町立病院の1階まで浸水したとか。
18m強の高さまで浸水。
 
そしてその手前の更地は、すべて町の跡。
 
全く想像がつきません。
 
理解の仕様がありませんでした。
 
 
 
高台にいくと、そこには仮設住宅で暮らす人々の姿が。
 
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高台から見た女川の街の跡。
 
どこまで津波が来たのか…
 
想像を絶します。
 
この衝撃は、写真では、伝えようがないと思います。
現地に行ってみて、
よかったと思いました。
 
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女川中学校にて。
 
女川町は、その人口の約二割を津波で失ったのだそうです。
合掌するより、ありませんでした。
 
 
 
 
 
リアスブルーラインをその後北上、
大川小学校跡を見ました。
激しい衝撃に、目頭が熱くなりました。
 
ここのことは、また後ほど記事にします。
東日本大震災の中でも、
最大級の悲劇が起こった場所。
 
ここのことは、忘れられません。
 
ゆっくり、続きます。
 
 
 
 
 
 
 

塩釜を出発後、松島を眺めていく。
日本三景、美しい島々。
 
このあたりは観光地として、十分素晴らしいと思いました。
 
でも、東松島に入ったあたりで、ちょっと考えが変わりました。
 
R45沿いに「カキ」の看板がたくさん出ていて、
東松島に入ったあたりで、誘惑に駆られて
「カキ養殖場」との看板に向かってみたら、
そこにあったのは
カキ養殖場の跡
であって、壊滅した建物があっただけだったのでした。
 
 
暫く進んでいくと、だんだん津波の傷跡がみえてきました。
 
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仙石線 野蒜駅
 
いつ、この駅は復旧するのでしょうか。
 
 
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あちこち、復旧のための工事の風景が。
これまで見たことがないスケールで、
大きな被害を受けていることを感じます。
 
「いったい、何年かかるのか…」
そう思うのには十分な風景です。
 
その後、石巻を抜けていきましたが、
日本製紙で活躍するDE10の姿に、なんだかうれしくなりました。
 
そのあたりにも大きな被害があったのでしょうに…
 
 
 
 
そして、女川町に入っていきました。
 
続きます。

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2014年7月某日早朝、
横浜を出発。
東名~首都高~東北道をひた走る。
 
白石ICより仙台へ向かう。
仙台空港はすでに復旧していたが、
その向こうの防風林は壊滅したままだった。
 
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仙台東部、荒浜地区周辺。
壊滅した街の跡。
この辺りは住宅街だったのだろう。
 
写真を撮ったのち、合掌。
 
 
海沿いに北上。
 
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塩釜で昼食。
 
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ここまで、津波が来た。
 
 
 
上記の場所のあの日の映像。
 
 
 
 
その時のことに思いをはせながら、
海沿いに北上を続けていった。
 
以後ゆっくり、続く予定。
 
 

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