石巻から女川町に入って、
しばらく走っていくと、
ツーリングマップルに
「平成の大津波で町は全壊」と書かれている意味が
わかる風景がひろがってきました。
 
 
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広大な平地が広がっていて、
何も知らずに走っていくと、
「大規模な宅地造成をしているような風景」が広がっていたのですが、
 
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こういう建物の跡を見て、
そしてあちこちに飾られている花をみて、
何があったのか、悟ることになりました。
 
 
その後、地元の人にその時のことを教えてもらったのですが、
この広大な更地は、もともと街であり、人々が住んでいた跡地であったのですね。
 
まったく、信じられなかったのですが。
 
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この写真の中央に見える町立病院の1階まで浸水したとか。
18m強の高さまで浸水。
 
そしてその手前の更地は、すべて町の跡。
 
全く想像がつきません。
 
理解の仕様がありませんでした。
 
 
 
高台にいくと、そこには仮設住宅で暮らす人々の姿が。
 
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高台から見た女川の街の跡。
 
どこまで津波が来たのか…
 
想像を絶します。
 
この衝撃は、写真では、伝えようがないと思います。
現地に行ってみて、
よかったと思いました。
 
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女川中学校にて。
 
女川町は、その人口の約二割を津波で失ったのだそうです。
合掌するより、ありませんでした。
 
 
 
 
 
リアスブルーラインをその後北上、
大川小学校跡を見ました。
激しい衝撃に、目頭が熱くなりました。
 
ここのことは、また後ほど記事にします。
東日本大震災の中でも、
最大級の悲劇が起こった場所。
 
ここのことは、忘れられません。
 
ゆっくり、続きます。