Rail20とPursuerで行く Kanさんの旅路

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カテゴリ: 2014東日本大震災後巡礼

明日は3/11ですね。
あの衝撃、もう10年たつのですね。


最近、ヤフーのニュースにも
東日本大震災関連の記事がよくでてくるようになりました。
お子さんをなくされた方のお話は
読んでいてつらくなってしまいます。



私は2014年、当時オートバイで現地を旅してきましたが、
本当に衝撃だったのを覚えています。

そのことを当時、本ブログで旅行記として書き始め(2014東日本大震災後巡礼)たのですが、
途中で仕事が忙しくなってしまい、宙ぶらりんになってしまっていました。

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津の宮荘さんで食べたほやが大変美味しかったこと。
この当時はジェンマ君健在。

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先日、ここの民宿のお話がサンドウィッチマンの現地支援のお話とともに
TVでやっていましたね。
想像を絶する事態、「昨日のことのよう」
と3年たった当時、女将が言っていましたね。

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多数の犠牲者がでた南三陸町の防災庁舎。
当時は、まだすぐそばまで行けました。

今は、周辺に様々な建造物ができ、
風景も一変してしまったと思います。



女川も、南三陸も、だいぶ風景は変わっていますよね。


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津波で倒れてしまった建物。
女川の街だったところ。


このツーリングで撮った写真をもう一度取り上げよう、
と思ったのですが、SDカードがどこ行ったか分からなくなってしまいました。




あのツーリングで、仙台、石巻、女川、南三陸、気仙沼、陸前高田、大船渡と回りました。


石巻~南三陸などは
当時、前々ひどい状態のままのところが残っており
風景は心に焼き付いています。

帰りがけ、リアタイヤがごっついパンクをしてしまい
タイヤ交換が必要となり、急遽一泊伸びたのも思い出です。
(石巻の赤男爵でタイヤ購入)


中でも、大川小学校は最大の衝撃でした。
たくさんの方がなくなられた、つらい場所です。

石巻~南三陸の途中に立ち寄りましたが
絶句しました。

ヒロシマの原爆ドームを連想しました。


もともとの街の写真を見ても、
前々想像がつかない。


たくさんの子供たちが犠牲になり、
津波からの避難について、いろいろな議論が交わされた場所と思います。
(そのことについては、言及は避けます)

所詮一観光客の私は、
ただただ、手を合わせるよりなかったです。





このツーリングで、多大な犠牲から立ち直ろうとしている皆様の姿がとても心に残り、
少しでもお力になれれば、と思い
以後しばしば家族を連れて南三陸を訪れています。


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南三陸さんさん商店街
これは移転前の内陸にあったときの写真です。
今は海辺、盛り土され高台になった場所にきれいな商店街ができています。



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これは家族でシーカヤックを楽しんだ時のもの。

さとうみファームさん、南三陸の牧場です。


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南三陸のわかめ配合飼料で育てられた
羊のバーベキューが絶品です。
本当においしい。


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その飼料を見せていただきました。
オーナーさん、大変面白い方です。

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羊たちとたくさん遊べる
なかなか楽しい牧場です。


漁業体験もしました。

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海の中からホヤが上がってきました。


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長女は南三陸に行って、ホヤが大好きになりました。
海から上がったばかりの超新鮮なホヤを食べてご機嫌です。

ホヤばかりは、新鮮なものが美味しいです。
臭みが出る前のホヤ、食べたことない方は一度食べてみては?
全然違いますよ。


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姉妹で一生懸命仕掛けを引き上げます。



この船は、震災当時、たまたま沖合遠くまで行っていたため
津波に巻き込まれず難を逃れたそうです。
ただ、海が大変なことになってしまっていて
なかなか帰ってこれなかったそうです。

皆様、震災当時のことをいろいろお話してくださいました。





南三陸では
家族でたくさん楽しい思い出を作りました。


最近はなかなか時間が取れず行けないのですが、
いずれまた、遊びに行きたいと思っています。


現地の復興が、少しでも早くすすみますように。
お辛い思いをされた方々のお気持ちが、
少しでも、癒されていきますように。


皆様も、もしいかれたことがない方がいらっしゃいましたら
是非行ってみてください。

食べ物も、海も美しいですよ。
そして、人々の生きる力を感じました。






大川小学校のその存在は、
衝撃でした。
なので、ここはまたゆっくり取り上げたいと思います。
 
新北上大橋(まだ壊れているけれど)を渡り北上川を超え、
R398を北上。
 
この日は
津の宮荘に泊まりました。
 
お客さんはこの日は私のみ。
お風呂は貸し切りでした。
海の夕暮れがきれい~
で、疲れをいやしたのちに、夕食。
 
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これで一人前。
とんでもないボリューム。
 
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なんと新鮮なうに!
 
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なんと新鮮なホヤ!
 
ボリュームもとんでもないのですが
一品一品美味しかったです。
 
 
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何とか完食…
 
その日みた被災地のことを考えながら
眠りにつきました。
 
 
翌朝、少し宿の周りをお散歩。
 
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真ん中の高台に見えるのが
宿泊した津の宮荘。
 
あちこち堤防が壊れてしまっているのがわかります。
 
 
この日の海は、とても静かで優しい感じがしました。
津波の風景が、全く想像がつかず、
暫く海を眺めて過ごしました。
 
 
 
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ジェンマ君と津の宮荘。
 
女将に震災の日の話を聞きましたが、
この宿も被害にあい、
自宅およびマイクロバス二台が流されてしまったそうです。
民宿自体は高台にあり無事で、避難所になったり
ボランティアの人を受け入れたりしていたそうで、
「もうやめよう」と思っていたら
震災当時に来ていた人たちが泊まりに来てくれて
やめるにやめられなくなってしまったのだとか。
 
こうしてきて現地を見ていると、
3年たったなんて感じが全くせず、
復興どころではないような感じがします。
 
被災地の人たちは、
今もえらい思いをしているのだから。
 
 
 
女将さんも、
「震災は、まるで昨日のことのよう」とおっしゃっていました。
 
 
 
 
ぼちぼちと、出発します。
 
ぼちぼちと、続く。
 
 

石巻から女川町に入って、
しばらく走っていくと、
ツーリングマップルに
「平成の大津波で町は全壊」と書かれている意味が
わかる風景がひろがってきました。
 
 
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広大な平地が広がっていて、
何も知らずに走っていくと、
「大規模な宅地造成をしているような風景」が広がっていたのですが、
 
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こういう建物の跡を見て、
そしてあちこちに飾られている花をみて、
何があったのか、悟ることになりました。
 
 
その後、地元の人にその時のことを教えてもらったのですが、
この広大な更地は、もともと街であり、人々が住んでいた跡地であったのですね。
 
まったく、信じられなかったのですが。
 
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この写真の中央に見える町立病院の1階まで浸水したとか。
18m強の高さまで浸水。
 
そしてその手前の更地は、すべて町の跡。
 
全く想像がつきません。
 
理解の仕様がありませんでした。
 
 
 
高台にいくと、そこには仮設住宅で暮らす人々の姿が。
 
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高台から見た女川の街の跡。
 
どこまで津波が来たのか…
 
想像を絶します。
 
この衝撃は、写真では、伝えようがないと思います。
現地に行ってみて、
よかったと思いました。
 
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女川中学校にて。
 
女川町は、その人口の約二割を津波で失ったのだそうです。
合掌するより、ありませんでした。
 
 
 
 
 
リアスブルーラインをその後北上、
大川小学校跡を見ました。
激しい衝撃に、目頭が熱くなりました。
 
ここのことは、また後ほど記事にします。
東日本大震災の中でも、
最大級の悲劇が起こった場所。
 
ここのことは、忘れられません。
 
ゆっくり、続きます。
 
 
 
 
 
 
 

塩釜を出発後、松島を眺めていく。
日本三景、美しい島々。
 
このあたりは観光地として、十分素晴らしいと思いました。
 
でも、東松島に入ったあたりで、ちょっと考えが変わりました。
 
R45沿いに「カキ」の看板がたくさん出ていて、
東松島に入ったあたりで、誘惑に駆られて
「カキ養殖場」との看板に向かってみたら、
そこにあったのは
カキ養殖場の跡
であって、壊滅した建物があっただけだったのでした。
 
 
暫く進んでいくと、だんだん津波の傷跡がみえてきました。
 
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仙石線 野蒜駅
 
いつ、この駅は復旧するのでしょうか。
 
 
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あちこち、復旧のための工事の風景が。
これまで見たことがないスケールで、
大きな被害を受けていることを感じます。
 
「いったい、何年かかるのか…」
そう思うのには十分な風景です。
 
その後、石巻を抜けていきましたが、
日本製紙で活躍するDE10の姿に、なんだかうれしくなりました。
 
そのあたりにも大きな被害があったのでしょうに…
 
 
 
 
そして、女川町に入っていきました。
 
続きます。

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2014年7月某日早朝、
横浜を出発。
東名~首都高~東北道をひた走る。
 
白石ICより仙台へ向かう。
仙台空港はすでに復旧していたが、
その向こうの防風林は壊滅したままだった。
 
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仙台東部、荒浜地区周辺。
壊滅した街の跡。
この辺りは住宅街だったのだろう。
 
写真を撮ったのち、合掌。
 
 
海沿いに北上。
 
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塩釜で昼食。
 
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ここまで、津波が来た。
 
 
 
上記の場所のあの日の映像。
 
 
 
 
その時のことに思いをはせながら、
海沿いに北上を続けていった。
 
以後ゆっくり、続く予定。
 
 

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